朝鮮戦争勃発――巣鴨の独房で、重光葵は日本の危機を見抜いていた。『続 巣鴨日記』2刷決定
朝鮮戦争勃発――巣鴨の独房で、重光葵は日本の危機を見抜いていた。『続 巣鴨日記』2刷決定 株式会社ハート出版のプレスリリース

●ラジオが伝えた開戦。独房から始まった朝鮮戦争の観察
1950年6月24日、重光はラジオで北朝鮮軍の韓国侵攻を知ります。翌日から、ソウル陥落、米軍出動、国連決議、第7艦隊の台湾海峡配備、仁川上陸、38度線回復まで、戦況と各国の動きを連日のように記録しました。
「日本には門前の家に火がついたのである。日本は眼を醒まし魂を回復せねば自分の家に火が廻るであろう」
巣鴨の中では、旧軍人たちの反米・親ソ的な言説が勢いを増していました。重光はそれに流されず、ソ連の狙い、米国の決断、中共介入の可能性、日本の安全保障への影響を冷静に検討します。情報の限られた独房でありながら、その視野は朝鮮半島、台湾、中国、ソ連、米国、国連へと広がっていました。
●「自衛権のない国家は勿論独立国ではない」
重光は中国大陸の赤化と米ソ対立が深まる中で、米国の対日政策は必ず転換し、米国は日本を必要とするようになると見通しました。一方で、対米依存に安住することも戒めます。
「日本は何とかして将来は自力によって国を立てたきものである」
「天は自ら助くるもの以外には助くることはない」
「自衛権のない国家は勿論独立国ではない」
吉田茂首相の「無防備の日本は最も安全」とする趣旨の国会演説にも、「果してそうであろうか」と疑問を呈しました。講和、安全保障、自立、防衛。戦後日本がその後も問い続ける論点が、獄中日記の中ですでに立ち上がっています。
●国境を越えた信頼が、裁判の政治性を照らす
重光の有罪判決には、かつて外交交渉を共にした欧米の要人から異論が相次ぎました。グルー元駐日米大使、クレーギー元駐日英大使、バトラー元英外務次官、ハンキー卿らが、重光は終始戦争を避けるために働いた人物だと擁護。東京裁判のキーナン主席検事さえ、重光が無罪とならなかったことを遺憾としました。
重光はその支援を、「国境を越えた」友情であり、外交官人生で得た何ものにも代えがたい報酬だと受け止めます。敵国となっても失われなかった信用は、外交とは何かを静かに物語ります。
●降伏文書から国連加盟へ。その間をつなぐ一冊
仮出所後、重光は政界へ復帰し、鳩山一郎内閣の副総理兼外相となりました。1956年、日本の国際連合加盟に尽力し、国連総会で受諾演説を行います。敗戦の調印者が、11年後には国際社会への復帰を告げる代表となったのです。
『続 巣鴨日記』が描くのは、その劇的な二つの場面の間にあった思索と鍛錬の日々です。獄中で世界を見つめ、日本が再び立つ道を考え続けた時間を知ることで、重光の戦後外交が立体的に見えてきます。

●元駐豪大使が、現代日本へ問いを引き継ぐ
巻末解説を寄せたのは、元駐オーストラリア特命全権大使の山上信吾氏です。東京裁判の法的・政治的不条理、サンフランシスコ平和条約第11条をめぐる議論、重光の対米・対ソ観を読み解く一方、重光の軍人観や対米認識の限界にも踏み込みます。先輩外交官への敬意を保ちながらも問いを止めない、読み応えある解説です。
本文は旧字・旧仮名遣いを現代の表記に改め、ルビ、注釈、写真を追加。多数の漢詩には現代語訳を付しました。
戦後史の本であり、外交の本であり、現在の日本を考える本でもある――。国際情勢が揺れ動く今こそ手に取ってほしい、敗戦国の外交官による第一級の記録です。
【著者情報】
重光 葵 しげみつ・まもる
1887年大分県生まれ。東京帝大法科大学独法科卒業。外務省に入り、上海総領事、駐華特命全権公使等を歴任。上海事変停戦協定を成功させた直後、上海天長節爆弾事件で右足を失う。その後、外務次官、駐ソ・駐英・駐華の各大使、東條内閣・小磯内閣・東久邇宮内閣で外相を務める。終戦時には日本政府全権として戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印。三国同盟や日米開戦には反対の立場だったが、極東国際軍事裁判ではソ連の横やりでA級被告となり、禁錮七年の判決を受ける。政界復帰後、改進党総裁、日本民主党副総裁を歴任し、鳩山内閣の副総理兼外相として日本の国際連合加盟に尽力。1957年没、享年69。

【書籍情報】
書名:続巣鴨日記
著者: 重光 葵
仕様:A5判並製・256ページ
ISBN:978-4-8024-0261-3
発売:2026.07.09
本体:1800円(税別)
発行:ハート出版