奇妙なトンネル効果の影響を20年越しに実験実証成功 実験装置のクラウドサービスを使って理論研究者が実証
奇妙なトンネル効果の影響を20年越しに実験実証成功 実験装置のクラウドサービスを使って理論研究者が実証

近畿大学理工学部(大阪府東大阪市)理学科物理学コース教授 段下一平と、中央大学基幹理工学部(東京都文京区)物理学科助教 鏡原大地の研究グループは、米国Infleqtion社が提供する最先端の物理実験装置のクラウドサービス「Oqtant(オクタント)」を利用して、極低温の中性原子気体※1 でできた「ボース・アインシュタイン凝縮体(BEC)※2」の運動を調べ、BECが示す奇妙なトンネル効果である「異常トンネル効果」がBECの運動に及ぼす影響の実験実証に成功しました。Oqtantを用いた学術的成果が査読付き論文として発表されるのは世界初となります。
本研究は、物理学の研究において従来は実験が困難だった理論研究者が、クラウドを経由して実験装置を用いることで自ら実験研究をするという新たな研究手法の有用性を実証しており、今後、理論研究者の研究スタイルを大きく広げることが期待されます。また、異常トンネル効果は磁石などの物質でも起こると考えられており、効果の影響が初めて実験で観測されたことにも大きな意義があります。なお、本研究は国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)などの支援を受けて実施されました。
本件に関する論文が、令和8年(2026年)7月31日(金)に、物理科学の国際的な学術雑誌"Communications Physics(コミュニケーションズ フィジックス)"に掲載されました。
本件のポイント
●理論研究者が最先端の物理実験装置のクラウドサービスを利用することで、20年来実験で観測できていなかった「異常トンネル効果」に注目し、その効果がBECの運動に与える影響の実験実証に成功
磁石などの物質でも起こることが予測されている異常トンネル効果の影響を、初めて実験で観測
●本研究成果は、理論研究者がクラウドサービスを利用して自ら実験するという、新たな研究スタイルを提示
本件の背景
原子や電子などのミクロな粒子がポテンシャル障壁にぶつかるとき、粒子のエネルギーが障壁のポテンシャルエネルギーより低くても、一定の確率で壁をすり抜けることができる「トンネル効果」という現象が知られています。通常は粒子のエネルギーが小さくなるほど、壁をすり抜ける確率は小さくなりますが、場合によってはこれと逆の傾向を示す「異常トンネル効果」が起こります。原子気体を構成する原子がボース粒子であれば、気体を極度に低い温度まで冷やすことで、「ボース・アインシュタイン凝縮体(BEC)」という特殊な状態になり、結果として気体がマクロな物質波として振る舞います。このBECの中を伝わる音波のエネルギーが低いほど障壁をすり抜けやすくなり、エネルギーがゼロに近づくと100%通り抜けるようになる現象が「異常トンネル効果」です。
理論研究者である近畿大学理工学部教授 段下一平は、この「異常トンネル効果」を、学生当時から理論的に研究していましたが、実験による実証は20年以上も実現していませんでした。
現代の物理学では、物理現象を説明するために主に数学を用いて方程式を立てて解く「理論」専門の研究者と、主に実験装置を開発・利用して新しい物理を発見する「実験」専門の研究者の2つへの分化が進んでいます。最先端の実験装置を自力で立ち上げて成果を得るためには非常に高い技術が必要で、一般的に実験研究者の協力なしに理論研究者が考案した理論を検証することは非常に困難です。
近年、このような理論研究者の悩みを解決するクラウドサービスが増えつつあります。企業の最先端の装置をオンライン上で自由に操作可能というもので、具体的には、IBM社やGoogle社が提供する量子コンピュータのクラウドサービスが挙げられます。米国のベンチャー企業Infleqtion社が提供する「Oqtant」もクラウドサービスの一種で、真空中にレーザー光と磁場を組み合わせて捕まえて冷却した原子の気体を操って、その運動を調べることができます。
令和2年(2020年)にOqtantの提供が開始となり、これを使うことで異常トンネル効果の検証実験ができると段下は考え、研究を開始しました。
本件の内容
近畿大学理工学部と中央大学基幹理工学部の共同研究グループは、まず理論計算から、二つの「井戸」のようなポテンシャル(二重井戸型ポテンシャル※3)に閉じ込められたBECが、二つの井戸を分けている中央の壁を挟んでどのように振動するかを予測しました。その結果、BECの振動運動の周期が間接的に異常トンネル効果を反映することを明らかにしました。続いて、Oqtantで二重井戸型ポテンシャル中のBECの振動運動を実際に観測し、様々な高さの壁に対して振動の周期を測定しました。この測定によって、壁の高さの変化に対する振動の周期の変化の様子が明らかになりました。この実験結果が理論計算結果とよく一致していることから、20年来未解決だった異常トンネル効果の影響を、間接的に初めて実験で観測することに成功しました。
本研究は、理論研究者がクラウドを経由して実験装置を遠隔で利用して、自らの理論予測を実験で検証できることを示す画期的な成果です。また、近年の理論研究では、異常トンネル効果はBECだけでなく、磁石などの物質でも幅広く生じる普遍的な現象であることが示されています。こうした重要な物理現象に関する最初の実験がクラウドサービスによってもたらされたことで、他の最先端実験設備のクラウド化が強力に推進されるとともに、物理学の研究スタイルを進化させることが期待されます。
論文掲載
掲載誌:Communications Physics(インパクトファクター:5.8@2024)
論文名:Observation of the influence of anomalous tunneling on collective excitations
via a cloud experiment platform for Bose-Einstein condensates
(ボース・アインシュタイン凝縮体用クラウド実験プラットフォームを通じた、
集団励起における異常トンネル効果の影響の観測)
著者 :鏡原大地<sup>*1</sup>、數田裕紀<sup>2</sup>、Yewei Wu<sup>3</sup>、Noah J. Fitch<sup>3</sup>、段下一平<sup>*2</sup> *責任著者
所属 :1 中央大学基幹理工学部物理学科、2 近畿大学理工学部理学科物理学コース、
3 米国Infleqtion社
DOI :10.1038/s42005-026-02720-6
URL :https://www.nature.com/articles/s42005-026-02720-6
本件の詳細
異常トンネル効果とは、極低温の中性原子気体でできたBECを媒質として伝搬する音波が示す、奇妙なトンネル効果のことです。電子のようなミクロな粒子は量子力学に従って運動しており、その結果として、障壁に向かって進む粒子のエネルギーが障壁のポテンシャルエネルギーより低くても、有限の確率で障壁をすり抜けるトンネル効果を示すことがよく知られています。しかし、粒子のエネルギーが小さくなるにつれてすり抜ける確率(透過確率)は急激に小さくなるため、高い障壁をすり抜けるのは非常に困難です。それに対して、BECの音波はそのエネルギーが小さくなるにつれて透過確率が急激に大きくなり、エネルギーがゼロ近くの状態で完全透過するようになります。このように、通常のミクロな粒子のトンネル効果と正反対の傾向を持つことから異常トンネル効果と呼ばれています。
本研究では、二重井戸型ポテンシャル中のBECを、わずかに揺らすことで生じる集団励起の振る舞いを精密に観測しました。理論計算により、異常トンネル効果が存在する場合、障壁を高くしていくと、エネルギーの大きさ順に並べた際に隣り合う二つの集団励起のエネルギーが互いに近づき、最終的に一致する現象が起きることが予測されました。集団励起のエネルギーは対応する振動運動モードの周波数と比例関係(比例定数はプランク定数)にあるため、周波数を実験で測れば決められます。Oqtantを用いて、エネルギーの最も小さい三つの集団励起に対応する振動運動モードの周波数を測定した結果、エネルギーが低いほど障壁が高くなってもその影響を受けにくく、周波数の一致がより高い障壁で起こるという特有の傾向が確認され、間接的に異常トンネル効果の影響を捉えることに成功しました。
この異常トンネル効果はBECの音波が示す特殊な現象として、ロシアの理論物理学者によって最初に予言されましたが、その後は磁石などの物質の運動でも起こることが理論的にも示されており、ある種の性質を持つ物質に共通で幅広く起こる現象であることが示唆されてきています。本研究で、このような普遍的で重要な物理現象が、クラウドサービスを用いることで理論研究者によって実験検証されたということは、今後の物理学の研究のあり方に一石を投じる大きな意義があると考えています。
研究者のコメント
段下一平(ダンシタイッペイ)
所属 :近畿大学理工学部理学科物理学コース
近畿大学大学院総合理工学研究科
職位 :教授
学位 :博士(理学)
コメント:物理学は実証科学なので、どんなに理論的に面白いことを提案したとしても実験で実証されなければ物理学的な発見とは言えません。理論研究者として研究していく中で、自分ではとても面白いと思う理論研究からの予言であっても、実験研究者に興味を持ってもらえずに実験検証できていないものがたくさんあります。Infleqtion社がOqtantという最先端の実験装置のクラウドサービスを提供してくれたおかげで、本研究において、そのような面白い予言のうちの一つを実験検証することができました。今後もOqtantのようなクラウドサービスを利用して、積極的に実験研究も実施していきたいと思っています。
鏡原大地(カガミハラダイチ)
所属 :中央大学基幹理工学部物理学科
(研究開始当時:近畿大学理工学部 博士研究員)
職位 :助教
学位 :博士(理学)
コメント:私はこれまで理論研究に取り組んできましたが、クラウド経由の実験プラットフォームを用いることで、理論的に予想されていた現象の検証をする実験研究を行うことができました。中性原子気体のような高い制御性をもつ系の実験がクラウドでより広く行えるようになると、これまで未検証だった理論提案や新しい理論的アイデアを柔軟かつ迅速に検証できるようになると期待しています。今回の研究経験を活かし、今後もこのような新しい研究基盤を積極的に活用していきたいと思います。
Noah J. Fitch
所属 :米国Infleqtion社
職位 :VP of Applied Quantum Sensing(応用量子センシング担当部長)
学位 :Doctor of Philosophy in Physics(物理学博士号)
コメント:当社(Infleqtion社)の使命の一つは「量子」に関する研究と技術へのアクセスを広げるために、その基盤となるハードウェア、集積システム、遠隔プラットフォームへのアクセスを提供することです。例えば、国際宇宙ステーションに設置されている当社のハードウェアによって、微小重力環境化での量子物質を遠隔で研究することが可能になっており、当社が管理するシステム上で世界中の研究者たちが先進的な実験を行うことができます。今回の研究は、この遠隔アクセスのモデルが地上に設置された時に何が可能であるかを明らかにしています。「量子」がそこかしこに普及していない現在においても、私たちはどこからでも「量子」にアクセスできるのです。
研究助成
本研究は、「JST 創発的研究支援事業」課題番号JPMJFR202T、「JST 先端国際共同研究推進事業(ASPIRE)」課題番号JPMJAP24C2、「JSPS科学研究費助成事業」課題番号JP25K17319、「文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)」課題番号JPMXS0118069021による助成を受けたものです。
用語解説
※1 極低温の中性原子気体:レーザー冷却と蒸発冷却という原子光学技術により、絶対温度で100ナノケルビン程度かそれ以下にまで冷却された中性原子の気体のこと。
※2 ボース・アインシュタイン凝縮体(BEC):ボース粒子とは、自然界に存在する粒子を大きく二種類に分類したうちの一つで、例えば、光子やヒッグス粒子などがボース粒子の代表例として挙げられる。複数の同種のボース粒子が、ある一つの量子状態を同時に占めることが可能であるという統計的な性質を持つ。この性質に由来して、ボース粒子からなる気体は低温においてマクロな数の粒子が同一の一粒子状態を占めるようになり(ボース・アインシュタイン凝縮)、結果として、ボース気体がマクロな量子物質波として振る舞う。このマクロな量子物質波となったボース気体はボース・アインシュタイン凝縮体と呼ばれる。
※3 二重井戸型ポテンシャル:通常の中性原子気体の実験では、お椀型のポテンシャルでBECを閉じ込めている。このお椀型のポテンシャルの中央にシート上のポテンシャル障壁を加えると、BECはポテンシャル障壁を境にして空間的に二つに分かれる。このように、お椀型のポテンシャルにポテンシャル障壁を合体させたポテンシャルは、原子を溜める井戸が二つあることから、二重井戸型ポテンシャルと呼ばれる。
関連リンク
理工学部 理学科 教授 段下一平(ダンシタイッペイ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/2161-danshita-ippei.html
理工学部











